可視化されないスコアが、たまっていく
いまどこかのメディアに単発で出してもらうより、自分のなにかしらの空間に毎日アウトプットしていくほうが効く。そう判断して、8月に入ってからほぼ毎日書いています。ただ、なぜそう判断しているのかを、自分でちゃんと言葉にしたことがありませんでした。
その言語化を手伝ってくれた記事がありました。東洋経済オンラインに出ていた城戸譲さんの原稿で、「原爆投下はウソ」というデマがSNSで広がる構造を扱ったものです。副題が「8月だけ戦争を語る」メディアの功罪、となっている。8月に集中して語られ、残りの11か月は語られない。その空白に別のものが流れ込む、という指摘でした。
出していない期間のほうが長ければ、人はその空白のほうを長く見ることになります。単発でどれだけ強いものを出しても、間が空いていれば、その間は別の何かで埋まっている。自分が継続のほうに賭けているのは、この一点です。
しかもいま、メディアとしての単位がインターネット出現以降、個人にどんどん寄ってます。媒体名で読まれるのではなく、誰が書いているかで読まれる。そうなると問われるのは、この人はこの話をずっと書いているのか、それとも今回たまたま書いたのか、という区別のほうになります。その差はどこにも表示されません。フォロワー数でもPVでもなく、蓄積としてだけ存在している。可視化されないスコア、みたいなものだと思っています。
そして、それを見ているのが人間だけではなくなりました。検索の代わりにAIへ聞く人が増えていて、そのAIは、誰が何を継続的に書いてきたかを材料として持っている。引かれるかどうかは、そこで決まっていく。
ここで言う一次情報は、特ダネや調査報道だけの話ではないです。自分が見たこと、やってみて分かったこと、なぜそう判断したかの理由。誰かの受け売りでないものは、全部そこに入ると思っています。つまりこれは報道機関だけの論点ではなくて、何かを出している人全員にかかってくる話です。
その同じ問いに、媒体という単位では逆の答えも出はじめています。日本新聞協会は去年6月に「生成AIにおける報道コンテンツの保護に関する声明」を出しました。無断で学習に使われることを拒否する意思表示を尊重せよ、robots.txtのような技術的措置は有効だ、という内容です。今年の4月にはAI検索サービスについての声明も出ていて、Googleに対し、加盟社が自分の意思で記事の利用を拒否できる仕組みを日本でも導入するよう求めています。守りたい理由はよく分かります。持っていかれる一方で、流入が返ってこないのは事実なので。
ただ、守った先の景色が読みにくいのが、この判断の難しいところだと思っています。検索経由の流入はすでに落ちていて、国内でGoogle検索から外部サイトへの訪問数は2023年からの2年で33%減ったという数字もある。守っても元には戻らない可能性がある。一方で拒否すれば、AIが答えるときの材料からは外れていく。どちらにも損があって、しかもどちらの損も数字には出てきません。
だから二択で考えないほうがいいのだろうな、と思っています。Cloudflareのペイパークロールのようにクロールされた分の対価を取る形もあるし、noteもAI学習の対価をクリエイターへ還元するプログラムを始めています。閉じるか開くかの前に、開いたうえで何を受け取るかという設計の余地はある。
自分は出し続ける側に張っています。テレビや部数の大きい媒体に単発で出るより、読む人が少なくても自分の自己表現空間に毎日書くほうが、いまの自分には効くと考えてます。ただ、この賭け方が誰にとっても正解だとは言えません。一度大きな場所に出たことで、その後の依頼の流れがまるごと変わる人もいます。そもそも書いて出すこと自体を選ばない人もいるでしょうしね。
ひとつだけ言えるとすれば、出し方を決めるときは「今どれだけ届くか」ではなく「三年後に何が残っているか」で測ったほうがブレない、ということくらいです。個人が出し方を決めるときも、媒体が閉じるか開くかを決めるときも、同じ物差しで見ると答えは変わってくるはずです。
参考までに。

