インターネットが始まる前からあるソーシャルコミュニケーション、雑にいえば井戸端会議ですって言い方してるんですが、これももうハイコンテキストなのかな。まあ、家族とかご近所付き合いとかで繰り広げられてきた、興味・関心を元にしたコミュニケーションです。
そして「つまらない話は話が広がらない。面白い話は伝播する」ということで、テレビの話題、新聞の話題が中心となっていました。これはもともと「作り手」である4マスが結果として強く意識して作り上げられていたコミュニケーションと言えます。古い話でいえば、口裂け女とかもその部類ですな。だからまあ、この時点でファクトチェックとか言っても仕方ないんですよとか言うと話が脱線するからここまでにしますが。
で、このコミュニケーションが「縁」ですな。インターネット以前は、「血縁」(=家庭内)で話されるか、「地縁」(=たとえば学校や職場などリアルな場)だけでしたが、ここにインターネットが加わってきた。なにが起きたかというと、年齢や居住地にとらわれない、個人の興味や価値観が近い仲間同士で形成される「知縁」が発生した、と。特定の話題、どんなニッチな話題でも繋がれるようになり、そこでも同様に井戸端会議が繰り広げられている、と。
やっかいなのが、これがまあオープン井戸端会議で。これがクローズドな関係ができあがってなにかしらのコンテキストが生成されたうえなら、極端な話、嘘八百でもいいんですよ。でも、オープン。まあ、白日の下にさらけ出されるわけです。
で、そんな「知縁」が可視化されてから年月経ちました。言えることは、ますます丁寧さが必要になってきましたね、と。だって、言うてこの点の縁って上下関係その他ないわけですよ。ワタクシそれこそ、90年代後半から2000年にかけてネット超初期の知縁の集まり、ようはオフ会に出まくりましたが、立ち位置その他なんにも関係なかったもの。それがオープンになっただけで、自分からすれば別に難しくもなんともとか思いながら、いまだにあつれきその他、ソーシャルコミュニケーション上でみちゃいますな。
むかしは、その盛り上がりが炎上であってもソーシャルコミュニケーションを提供しているプラットフォーマーの飯のタネになってたんですが、どうやらそのあたりでいえば流れが変わって来た感はします。意味不明な盛り上がりは端的に言うと、ちょっとしたショットのビジネスになりこそすれ、中長期では特段の意味をもたないというか、なんならビジネス上、ネガティブ。そりゃまあそうだ。だって、結果特段のユーザメリット産まないもの。秘密の開示をみて溜飲下げたところでなんですかという話で。これだけ、他にユーザメリットをポジティブに発生させるコンテキストやコミュニケーションあるというのに。
だってさ、コミュニケーションだってある程度はAIが担保しちゃうのよ、これから。だったらヒトに残された領域でいうなら、結果丁寧さにつきる。自分ができてる?いやいや、そういうのを謙虚に日々アップデートしてってますよ、と。そういうのが大事だと思うし、なんかそんな発信もたまにはしたくなるのよということで、ちょいと書いてみた次第です。


