4マスから、一人一人がメディアへ、そして円環へ
メディアコンサルタントでコミュニケーションプランナーの松浦シゲキです。2026年7月で独立して、4期目を迎えました。改めて、いま自分が根本で考えていることを書き記しておきます。
情報を発信するという行為の「届き方」の構造が、この20年で3段階に変わってきた気がしています。四マスに乗るしかなかった時代。一人一人が発信できるようになった時代。そして今、AI が答えを先回りする時代。もう一つ、この3フェーズを通して静かに変わり続けているものがあります。発信と受信のあいだで「円環」を作って回すことの、技術的な難しさ。円環そのものはどのフェーズにもあったけれど、それを主軸に据えるためのコストが、フェーズを進むごとに下がってきた。インターネットがなかった時代における一人の「受け手」から、いつの間にか「伝え手」の立場も経験し、「作り手」であるパブリッシャーとしてメディアの立ち上げからグロースまでを一気通貫でやってきた立場から見て、この3フェーズは輪郭が違うだけではなく、届く仕組みそのものが違うし、円環の作りやすさも違います。前のフェーズの体感で次のフェーズに臨むと、たぶん届かない。ここに、自分の中の整理として残しておきます。
Phase 1: 四マスの時代 — 発信は「乗るしかない」ものだった
インターネットがなかった時代、情報を世に届けたいと思ったら、テレビ・新聞・ラジオ・雑誌のいわゆる四マスに乗せてもらう以外の道が、ほぼありませんでした。企業だけの話ではありません。個人が自分の考えを社会に届けたいと思っても、新聞の投書欄、雑誌への投稿、ラジオ番組へのハガキ、書籍出版、同人誌や自主制作の細い流通。それしかなかった。発信者が誰であれ、四マスの編集判断が「届くかどうか」を左右していました。
自分が書いてきたコンテンツ戦略のフレームワークで言うと、「作り手・伝え手・受け手」の3項で見たとき、四マスが「伝え手」を独占していた時代です。放送波、販売網、印刷所と書店の網の目。伝え手が持つ在庫(時間・面積)は有限で、その有限の枠に自分の情報を入れてもらうために、企業も個人もクリエイターも、同じ場所で奪い合っていた。広告を買って枠に入る企業と、ハガキ職人としてラジオ番組に採用されようとする個人と、手法は違うけれど、「乗るための働きかけ」という点では構造は同じでした。
受け手も、この時代は基本的に受動でした。テレビをつけたら流れているものを見る。新聞を開いたら並んでいる記事を読む。ラジオを聴いていたら知らない CM が流れてくる。生活者が「自分から」情報を取りに行く動線はほとんどなかった。伝え手の編集権が圧倒的に強くて、発信者も生活者も、その編集権に大きく影響されていた。上から下への一方向のフロー。それでも、円環が全くなかったわけではありません。新聞の投書が誌面に反映されて連載企画に発展したり、街頭インタビューの一言が特集を動かしたり、市井の声を聞いたからこそ生まれた報道は、いくつもありました。反応が回路として存在してはいた。ただ、視聴率調査やアンケートで返ってくる反応は、時間遅れも粗さも大きくて、それを次の発信に体系的に織り込むのは、技術的にも運用的にもかなり難しかった。円環はあったけれど、細くて、遅くて、太く回すのには特別な工夫が要る仕組みでした。
Phase 2: インターネットの時代 — 一人一人がメディアになった
インターネットの登場で、この構造がひっくり返りました。テキストで発信するブログが出て、動画で発信する YouTube が出て、音声で発信するポッドキャストが出た。企業も、個人も、クリエイターも、公式サイト、自社チャンネル、note、ニュースレターで、受け手に「直接ダイレクトに」届けられるようになった。自分は昔から「一人一人がメディアである」と書いてきましたが、この言い方は、Phase 2 になって初めて実感を持って成立するようになった気がします。「作り手 × 伝え手」の兼務のうち、伝え手の部分が誰にでも開かれた。
このフェーズで発信者が手にしたのは、「自力でやれる」という感触です。ブランドや自分の考えを知ってもらうこと。作品を届けたい人に届けること。これまで四マスに間に入ってもらわないとできなかったことが、自分たちだけで完結できるようになった。個人でブログを書いて100本目のエントリでポジションが立ち、そこから新しい仕事や関係が生まれる。ハガキが読まれるまでの何百通の壁が、note の1本目から自分の読者に届くフォーマットに変わった。「発信を続けていれば、届く人には届く」。この Phase 2 の手応えが、多くの人の発信習慣を作りました。
ただ、フラット化には副作用もあります。伝え手の在庫が「無限」になった代わりに、受け手の可処分時間は増えない。人間の情報処理能力は変わらないのに、届けられる情報の量が爆発する。だから伝え手(プラットフォーム)のアルゴリズムが、限られた受け手の時間を割り当てる主体として力を持ち始めた。四マスの編集権が消えた代わりに、GAFA のアルゴリズムが新しい編集権を握る。「自分の note」を持っていても、それがおすすめされるかは自分の外にある、という構造は、ずっと変わらなかった。
それでもこのフェーズは、Phase 1 の一方向のフロー自体は残っていました。作り手 → 伝え手(プラットフォーム)→ 受け手。矢印の向きは変わらない。伝え手が四マスからプラットフォームに置き換わって、作り手側に個人も企業もクリエイターもフラットに並んだ、という差でした。ただし、反応を受け取れる回路(コメント、いいね、シェア、ソーシャルメディアでのリアクション)は Phase 1 と比べて桁違いに増えていて、円環らしきものは実装しようと思えば実装できるようになりました。UGC(ユーザー投稿コンテンツ)が受けたリアクションでプラットフォームに押し出されて、投稿主がプロクリエイター(PGC)に変容していく流れは、まさに反応が次の発信を強化していく円環そのもの。ソーシャルメディアで自分の投稿が拾われた個人が YouTuber や note のプロクリエイターに育っていく回路は、Phase 2 のあいだにすでに動いていました。ただし、それを「発信の主軸」として設計して回し続けるのは、まだ運用のコストが高くて、多くの発信者にとって円環は「特別な工夫の対象」で、反応そのものは「発信の副産物」のままで終わっていた気がします。
Phase 3: AI の時代 — 発信だけでは届かない、そして円環へ
そこに AI がやってきました。生成 AI が「答え」を吐き出してしまう。ここまでの Phase 1・Phase 2 では、受け手が何かを「知りたい」と思ったら、四マスなりオウンドメディアなり検索エンジンなりの「伝え手」を経由して、「作り手」の情報にたどり着いていた。発信者のアウトプットそのものが、「知りたい」に対する「答え」の担い手だった。ところが今、受け手が AI に聞いた瞬間に、答えらしきものが即座に返ってきます。発信者が丁寧に作ってきたコンテンツは、AI の返答の材料として使われることもあれば、参照されずに素通りされることもある。
このとき発信者が困るのは、「発信する」という行為の効き方が急に鈍くなること。Phase 2 のように、良いブログを書いて、良い YouTube を出して、良いポッドキャストを配信して、それで「届く人には届く」と信じていた前提が、完全に崩れる。受け手が検索窓に文字を打ち込む前に、AI に口頭で「教えて」と聞いてしまう時代に、発信者のコンテンツがどれだけ育っていても、それが AI の学習データや検索結果に載っていなかったら、届かない。「一人一人がメディアである」の後半、「だから発信を続ければ届く」の部分が、成立しなくなりつつあります。
もう一つ、これは自分が最近ずっと考えている論点ですが、AI が「答え」を返す構造の下では、「一方向に発信する」という行為の意味自体が変わります。答えは、受け手が「聞く」ことで初めて起動する。聞かれない情報は、AI の手前で止まる。発信者が「発信するだけ」の姿勢を続けても、そもそも聞かれない限り、AI も取り上げようがない。だから、これからの発信は「聞いてもらう」ためのコミュニケーション、インタラクションの部分と一体で設計しないと成立しなくなる。ここが Phase 3 の一番大きな転換点。
情報発信は、上から下への一方向のフローから、受け手との対話の中で回っていく循環(円環)に変わらざるを得ない。発信者がアウトプットを出す。受け手が反応する。その反応が AI に拾われて次の答えの精度を変える。次の受け手が AI に聞くとき、その反応が織り込まれた答えが返ってくる。発信者はその答えを受けて、また発信を調整する。この一連の動きは、もう「一方向」で描ける絵ではなくなっている。円環として設計しないと、そもそも回らない構造になっている。
円環の中の発信は、何が違うか
Phase 1 の時代にも円環はありました。投書から動く紙面、市井の声を聞いたからこその報道。ただ、それを回すのが技術的に難しくて、大半の発信は一方向のフローのまま流れていた。Phase 2 の時代には、UGC が PGC に変容していく回路のように、円環らしきものは実装可能な選択肢になりました。ただ、それを「発信の主軸」に組み込むのは、まだ運用のコストが高くて、多くの発信者にとって円環は特別な工夫の対象だった。Phase 3 になって、AI が受け手ひとりひとりの反応をリアルタイムで拾い、発信者側のダイヤルに反映し、次のアウトプットに織り込む、というループを、少ない体力で回せるようになった。円環がなかった時代ではなく、円環はあったけれど作るのが難しかった時代を経て、技術と AI の後押しで円環を作るのが容易になった時代へ。そして同時に、その円環を作らないと届きにくい状況にもなった、というのがこの3フェーズの流れだと自分は見ています。
AI は、この円環を、人力だけでは回せない規模で回すためのツールです。速く済ませる話ではなく、体力の話です。発信者が何人チームを組んでも、受け手ひとりひとりのリアクションを追いかけ続けるのは、人の体力では無理がある。AI の体力は金で買える。同じダイヤルを24時間動かし続けられる存在が横に立って初めて、この円環が回り続けます。
そのうえで、円環のどこかに「本当にこれ合っているのか」を言える主体が入っていく必要がある、と自分は考えていて。企業には企業の円環設計、個人には個人の円環設計、クリエイターにはクリエイターの円環設計があるはずで、そのどれもが「発信して終わり」ではなくなる。「作り手・伝え手・受け手」の3項も、円環の中では役割が固定できません。発信者と受け手が同じ円の中に入って、企業もユーザーも、クリエイターもファンも、同じ円の一部として回っていく。この転換の渦の中に、もちろん自分もいます。答えは、それぞれの現場で、それぞれの円環の回し方を試しながら模索しなくてはいけなくて。
情報発信を続けているすべてのヒト、いやヒトだけに限らずコトにとって、Phase 3 は、もう始まっていますし、対処するべき話。一緒に考えていければと思います。
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